当事者はだれなのか
産経新聞特別記者 宮田一雄
全米有数のエイズ対策団体であるエイズアクションコミッティ(AAC)は1階にハードロックカフェボストンが入っている古いビルの4階にあった。毎週月曜夜にはHIV陽性者とボランティアのためのディナーが開かれ、なぜか英語の不自由な日本の新聞記者も1989年5月から翌90年10月まで、ほぼ毎週のようにボストンの一流レストランが提供する食事をいただいて過ごした。「帰国したら記事を書くと思う」とことわったうえで、AACの向かいにあるボストンリビングセンター(HIV陽性者のためのドロップインセンター)にボランティアとして通っていたからだ。
日本に帰る前日、夫婦でリビングセンターを訪れ、「お世話になりました」と100ドルを寄付した。毎週ディナーをいただいて100ドルはせこいなと気が引けたが、受付のリチャードから「キミたちはなんて素晴らしいんだ」とハグされ、不覚にも涙がぽろっとこぼれた。そうじゃない、素晴らしいのはキミたちだよ。
リチャードを含め、リビングセンターで知り合った人の多くが、その後、半年以内に亡くなっている。胸が苦しくなるような切ない日々の中で、どうしてあんなに親切にしてくれたのだろうか。帰国後、新聞の連載をもとに一冊の本を出版し、「ピープル・ウィズ・エイズ」というタイトルを付けた。リビングセンターのスタッフやクライアントから「PWA(ピープル・ウィズ・エイズ)には、People Affected With AIDS(エイズに影響を受けた人)という意味もある。キミもPWAだよ」と言われたことが心に残っていたからだ。
エイズの最初の症例報告から今年で30年が経過した。この間の歴史を振り返ると、HIV/エイズの流行との闘いは常に、最も「影響を受けてきた人々」が担ってきたことが分かる。影響の受け方は人によって様々だろう。HIV/エイズの流行は情報の伝達、および恐怖や不安への対処といった分野に深く関わる現象であり、その面での当事者というべき新聞記者もまた、広義のPWAであることで多くの教訓を得てきたのではないか。危機の時代の中でいま、ひそかにそんなことを思っている。