東京・新宿2丁目のコミュニティセンターaktaでは10月29日夜、飯田さんをしのぶ会が開かれました。日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス(JaNP+)代表であり、コミュニティアクション実行委員会の委員長でもある長谷川博史が、その様子と「飯田真美さんを送る会」の弔辞をFACE BOOKに投稿しています。重複になりますが、コミュニティアクション2013もFeatures欄に長谷川報告を再掲し、飯田さんにささやかな感謝を捧げたいと思います。
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東京都のエイズ対策を大転換させた飯田真美さんをしのぶ会が新宿2丁目のaktaで開催されました。新宿2丁目のゲイ、若いボランティア、NGOスタッフ、東京都職員、研究者と東京都のエイズ対策に関わった人たちが立場やセクシュアリティを超えてたくさんの人たちが集まって、ありし日の飯田さんを偲びました。行政官で立場を超えてこんな形で送られた人は未だかつていませんでした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
********* 「飯田真美さんを送る会」弔辞 *********
あなたは僕たちの街に、嵐のようにやって来て太陽のように去って行きました。
未だ20世紀だった時代、友人たちの中に増え続けるHIV感染。当時、行政の扉は重くなかなか思うように開いてくれませんでした。焦る僕たちは訳もわからないまま都庁に陳情に行き、何の手応えも無いまま、帰り道のホテルの喫茶室で頭を抱え込むことの繰り返しでした。
世紀が変わったある日、そんな時に登場したのが飯田さんでした。
都内で開かれたNGO主催のシンポジウムに突如として表れた陽気な女性。聞けば東京都の新しいエイズ対策担当の副参事だとのこと。行政官らしからぬ風貌もさることながら、それまで、そんな立場の人がNGOの集まりに顔を出す事などほとんど有りませんでした。最初は新任の挨拶回りだろうと冷ややかに見ていたものの、いつの間にか新宿2丁目の若いゲイ達のハートをわしづかみにして、自然に、本当に自然に僕たちのコミュニティの仲間になっていたのです。そして重かった行政の扉は僕たちゲイコミュニティにも開かれ、同じテーブルについて話合い、同じ街で動き、そしてともに遊び、生きてきたのです。
これが、東京都のエイズ対策が大きく舵を切ったキッカケでした。行政施策の文化というか、枠組みが少数者であるゲイの僕たちに合わせて方向転換した瞬間でした。つまり、飯田さんは住民本位という本来の行政のあり方を見事に、鮮やかなまでに体現して、形骸化していた東京都のエイズ対策の枠組みを転換したのです。
現在、東京都はアジアの近隣諸国の大都市と比較しても5分の1という低い感染率を維持しています。これはコミュニティの努力だけでは実現できなかった事です。十数年前、飯田真美という行政官が登場しなかったなら、コミュニティの努力はここまで報われなかったでしょう。
でも、HIVは僕たちゲイの日常の問題です。若いゲイたちが次々に東京にやってきます。僕たちの闘いは終わる事は有りません。飯田さん、これからも天国から僕たちを見守っていて下さい。やさしく暖かい西日のようなあなたの慈愛に満ちた心で…。
JaNP+ 長谷川博史