今年のテーマは『つながる、ひろがる、わかちあう』。8月5日(金)午前の開会式では主催者あいさつでは津久井やまゆり園の事件に触れ、「つながらない、孤立的な人が増えているのではないか」という危惧が表明された。事件との直接の関連があるわけではないが、フォーラムの準備過程で世間の動向にそうした危惧を感じさせる部分があったからこそ、つながること、わかちあうことがテーマになったのではないか。そんな想像をさせるあいさつでもあった。
開会式に続くトークセッションは、東京大学先端科学技術研究センター准教授の熊谷晋一郎さん、ドント・ウォーリーの副代表、谷山廣さんをゲストに招き、ずしりと重く心に響く内容だった。熊谷さんは脳性まひ障害の当事者であり、小児科医であり、研究者としては「当事者研究」に取り組んでいる。「困ったことを抱えている当事者が自分で考え、研究してみようという意欲を持ち、専門家はそのお手伝いをする」というかたちの研究だという。谷山さんはHIV陽性のゲイ男性であり、アルコールや薬物の依存症当事者であり、性的少数者や依存症当事者の支援活動を行っている。
セッションは司会のフォーラム運営委員、岩室紳也医師が紹介した熊谷さんの著書の次のような言葉を軸に展開していった。
「自立は、依存先を増やすこと」
「希望は、絶望をわかちあうこと」
熊谷さんによると、障害については1980年代に「障害を抱えているのは社会なのだから、その社会の仕組みをなおせばいい」という新たな考え方が生まれた。障害者が親に依存して生き、親が死んだら自分も死んでしまうような閉塞状況を打開する考え方だろう。熊谷さん自身が半ば家出をするようにして一人暮らしを始め、たくさんの人に支えられて、社会がどのくらいやさしいのか、どれほど多くのやさしい人がいるのかを体験しつつ「自立は、依存先を増やすこと、希望は、絶望をわかちあうこと」という認識を得るようになったという。お話を正確に理解できたかどうか自信はないが、そのような趣旨のことを話されていたと思う。
谷山さんは体験を語ることの重要性を指摘した。聞き手が限定された「安全な場所」で話すことも、もっと対象を広げたところで話すこともあるという。当事者が体験を語ることは、その当事者が抱える困難を社会が把握するための重要な機会である。また、同じような困難を抱える人の安心に通じることもある。聞き手側のそうした利益だけでなく、話をする当事者自身にとっても話すことが治療になるという側面がある。自らを相対化し、困難を具体的に整理することで心理的な負担が軽減される。そうした効用があるからではないかとお話を聞きながら推測した。
当事者のカミングアウトは周囲の環境を見極め、慎重ないしは周到であるべきだが、同時に必要なことでもある。カミングアウトをする必要がない社会は待っていても来ないだろう。
注意力散漫で、きちんとメモが取れていないので自信はないが、依存症については、それが困難を抱える人にとっての最後の逃げ場になることがしばしばあるという趣旨のお話が、司会者も含め3人からそれぞれあったようにも思う。依存症はよくないものという前提でものを考えがちな身としては、ちょっと意表をつかれた印象もあったが、「なけなしの依存先を奪ってどうする」といった指摘には「そうだよね」と同意せざるを得ない。
感想ついでに書けば、お話を聞きながら「あの人が変、なのではなく、社会が変だからその変なところを社会的に変えていこう」という視点は魅力的だ。HIV/エイズの流行に対する「文化フォーラム」が重要な意味を持ち、なおかつ23年間も新鮮さを失わずに継続してきた大きな理由の一つもおそらくこの点にあるのではないかと思う。
世の中の変化をみれば、「エイズはもういいだろう」などという状態では到底なく、「エイズについて論じあってきたこと」そして「いま論じつつあること」の重要性はますます増しているように感じられる。AIDS文化フォーラムin横浜は7日(日)まで。土日のプログラムは公式サイトに載っています。
http://www.yokohamaymca.org/AIDS/